
僕は小学3年〜中学1年まで不登校でした。
(【不登校になったきっかけ】をご参照ください)
そんな僕がどのような不登校生活を送っていたかをご紹介します。
今回は小学生の時の話です。
家での生活
家でしていたことと言えば、
テレビを見る、ゲームをする、ご飯を食べる、といったことで、特に大したことはしていませんでした。これは3年生から6年生まで同じような生活でした。
ちなみに、当時はご飯をたくさん食べて、一日ゴロゴロするという生活を送っていました。
そのおかげで、低学年のころはすごく痩せていたのですが、学校に行かなくなってからはブクブクと体重が増えていきました。
(やることがないと、食べることに快楽を求めるタイプでした。)
別室登校
不登校当初は家に閉じこもっていたのですが、
学校の先生や親たちが相談して、少しでも学校に行きやすいようにということで、別室登校することになりました。
別室登校というのは、みんなが授業を受けている教室とは違う部屋で過ごすことです。
初めのころは「保健室」に登校させられました。(行きたかった訳ではないので、あえて「させられた」と書いてます。妥協して学校行ってます。)
別室登校をしていた期間は、3年生〜6年生で、
途中、何度かみんなと同じ教室で授業を受けることができました。
が、
すぐに挫折して別室に引き戻ってました。
別室登校も、することはできたんですが、行ける日もあれば、行けない日もありました。
行けるか行けないかは、その日の気分(調子)次第でしたね。
ちょうどこれくらいの時期に、親から、学校に行くか、行かないか、自分で決めさせてもらえるようになりました。(そのことについては、また別の機会に詳しく語ります。)
保健室での生活
保健室では、保健室の先生と他愛もないことをお話ししたり、先生に教えてもらってビーズのような手芸をやっていた記憶もあります。
みんなが授業中は過ごしやすい場所でした。
しかし、
休み時間になると、その平穏は崩されます。
ただ単に保健室に遊びに来る子、僕の様子を見に来る子など、少しずつ人が集まってきます。
当時は、みんなと同じように授業を受けていないこと、学校に行けないことが悪いことだと思っていました。(ほんとは悪いことじゃない。色々な学び方がある)
そのため、保健室で過ごしている姿を、他の子に見られたくなかったのです。
そんなこんなで、保健室へ通うこともしんどくなってきました。
相談室での生活
保健室へ行かなくなった僕を、再びなんとか学校へ行かせようとした先生は、新たな学校の居場所を僕に与えてくれました。
それが相談室(正式には教育相談室やったかな?)でした。
相談室という名前の教室でしたが、実際は空き教室のようなところでした。
僕や、他にも教室へ行きにくい生徒がそこで過ごしていました。(記憶では僕がこの教室に入った第1号!笑)
学校に行くのは前向きではありませんでしたが、とりあえずここに行っておけばうるさく言われないから行く。そんな気持ちで相談室に通っていました。
相談室で何をしていたかというと、
工作(ペーパークラフトやDIY)、先生と将棋、などしていました。
たまに、先生と一緒に体育館へ行き、バドミントンをしたり、紙飛行機を飛ばしたりしていました。
このように、僕の興味が引くことを自分のペースでいろいろとやらせてもらい、相談室が安心できる居場所になっていきました。
ここまで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m
少し休憩してから、【僕の不登校生活(小学生編その2)】でお会いしましょう。